男性性から届いたメッセージの話とソクラテスの言葉

気づき

◇今回の内容について◇
今回は、ほぼ自分の話です。
話は多岐に飛びます。
難解で疑問だけお渡しする可能性もありますが、宜しければご覧下さい。

◇ソクラテスの名言と幼少期の思い◇
ソクラテスという哲学者の発した言葉の一つに

よりよく生きる

というものがあります。
今回はお伝えした内容がリンクしていましたので、引用させて頂きました。
改めて著名な哲学者の名言を紹介しつつ、個人的な考察も絡めて触れていきたいと考えています。

今回は自分の話で終わります。
私は小学校4、5年生のころから、「哲学」の意味も知ってはいないのに

“よりよく生きる”ことついて触れたり、“こころに携わる”仕事につきたいと思っていました。
自分でもなぜ、そのように思うのかは不思議でした。

よりよく生きる

当時は、この“よりよく生きる”に携わることを仕事とするのなら、小学校の先生になることかなと考えていました。

授業の中では道徳の時間が大好きで、

「人としてこうありたいね」
「この場合、どうしたら相手も自分も嬉しいだろう?」

そんなことを考える道徳の時間が待ち遠しくて、楽しみにしていました。
一日中、こんな勉強だったら良いのに・・・
そう思っていました(なぜか、口には出せなかったのではありますが)。

哲学者アリストテレスはこのように、言っていたようです。

〘よりよく生きる〙

よりよく生きる。
私もこのことを考えていたいのに、果たして何を持ってよりよく生きることになるのかということに完全なる答えは見えていません。
見えてはいませんが、このように考えます。

人はフラット・中庸などの感覚でいる場合と極端な感情に襲われている時もある。
仮に、フラット・中庸の時間にいる間は流れるように、または漂うように心地の良い時間にいるのではないか。
苦しい時間にいると認識している時は、自分の行いから出たカルマ・業で苦しい感情に浸かっているが、その感情は愛の視点で見直せば変容を始める。
だから、苦しい時間にいることを認識(認める・受容する)ことが、感情の変容が始まる第一歩だと。
認める・受容することは案外難しいことで、それを自分に許さないことのほうが多いのではないだろうか。
やもすると一般的にそれを教育されてきたのではないか。

私は、そのように考えます。

ちなみに私は幼少の頃、男性性の声でメッセージを受け取ったことがあります。
ちなみになんて、軽快に記しましたが、すっと理解するには難しい啓示を頂きました。

【今回の人生は誰かのために生きることではない】

というようなものでした。

当時、私は4~5歳でした。アパートの茶の間で父とおばあちゃんと私の3人で何をするでもなく一緒の空間に居た時の話です。
当時父がよく使用していたマッサージ機の椅子と私は戯れ(?)ていた時のことです。
とてもこころは中庸な状態であったと覚えています。
何も考えていない。
無の状態にいた時です。

【今回の人生は誰かのために命を犠牲にすることではない】

上記と違いますが、このようなニュアンスでしたのであえて違う表現でも取りました。

一言でこのメッセージを受け取ると誤解を生む言葉ですので、この頃は出し控えている言葉ですが、届いたのです。
ですから、いづれ、この言葉の自分なりの考察も出したいと考えています。

話を戻しますね。
勉強を続ければ続けるほど、この先、また実体験に基づく気づきが重なるたびに、自分が過去に投稿した文章を恥ずかしくも思ったり、見方も深まったりする気は大いにしています。
現に下書きはしているけれど、受け取りの誤解を恐れて出せていないものも数点あります。
宇宙の原則を紹介した引き寄せの本でマスターの一人として紹介された方でさえ、過去の自分の出した著書に後悔を感じている方もいたようです。
※ジョー・ヴィターリ著書のハワイの秘宝でヒューレン博士にヴィターリ氏はホ・オポノポノを理解するほど、自分の過去に出した著書を回収したくなると告白しています。それに対しヒューレン博士はその時々の魂に必要な情報を発しているから決して恥じることはないと話しています。

叡智を知る程、自分の魂のステージが上がる毎に綴った言葉を訂正したくなるのではないでしょうか。
※私の考える魂のステージが上がるというのは、刷り込まれた無意識でこの現実世界を見ないで、新たな愛の視点でこの世の定義を自分で構築しなおす行為によって気づきを得て、この世で存在することを嬉しく思う感覚が強まることだと考えます。
今世のマスターの一人ともいわれる方でさえ、こう思うのですね。
同じように何かに取り組んでいる方にも少し肩の荷が下りる話であれば幸いです。
私も以前に発した言葉を訂正したくなることもあります。

ちなみに、アリストテレスは自分の発した言葉を書記として残すことではなく、会話をすることに重きを置いていたようです。

それは一人ひとり、今世での魂の学びが違うから同じ言葉を綴っても受け取り方が違うと考えたのではないでしょうか。
もしくは身を守る(誤解を生じない)一つでもあったかと思います。

まだ、薄学の中での私の考えですがそう考えます。

私は日々、過去に発した言葉でこう表現すればよかったと思っても、自分の体験を通して得た気づきが誰かの心地よい眠りに繋がったり、その方の心が中庸な状態であることに繋がるのであると考え、日々言葉を綴りたいです。

何より、よりよく生きることを考察したり、日々の投稿は私自身が一番満たされることなのです。




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