映像を映し出しているのは自分であることを意識する

嫌いなあの人について考える

自分の感情をかき乱されると感じる出来事はよくあることですが、ある例を具体的にあげてみますね。

靴やを経営している自分/お隣のお店は飲食店をしている年上の男性の方 という設定におきます。

ある日、お隣のレストランに私もよく知っている顔馴染みのおばあさんから草履の紐の調整をお願いされました。私がお店を開ける前でした。お隣の飲食店の主人(年上の男性)がおばあちゃんから預かったという流れでその草履の紐の修理を引き受けました。私はそのおばあちゃんから差し入れをよく貰っていました。ですので、本来ならお金を頂くところなのですが、今回はあるもので紐の調整を済ませたという名目でそのおばあちゃんからお代は頂かないことにしました。おばあちゃんと会える機会がいつになるかわからないので、マスターからおばあちゃんに渡してもらえるように頼みました。今回はお代は頂かないことも伝えました。しかし、そのマスターは「商売なのだから、きちんとお代はいただきなさい。」と強い口調で私に言いました。「仕事なのだから」とも。お店には2名ほどレストランを利用している男性客がおり、その会話は丸聞こえであり、私は人前で恥をかいたバツの悪い思いをしながらその場を後にしました。そのおばあちゃんは私が店を開いた当時からなるべくお金をかけずにお店を開いていたわたしに美味しい食べ物を差し入れして下さったり、お客様が靴を試し履きする時に使用する鏡をプレゼントしてくれたり、おばあちゃんに恩を感じていました。私は知らないお客様の前で強い口調で一方的に叱られたという被害者意識になりました。マスターも自分のことを結構気にかけてくれる方で決して人間関係が悪かったわけではないのに・・。なんとなく嫌な感情が残り、しばらくはマスターを避けたい気持ちになりました。

 

こんな、よくあるちょっとした日常を例にあげてみました。もしこれを読んでいるあなたが〃私〃だった場合、もやもやした感情になってしまいますよね。¨マスターを介さなければ良かった¨とか、¨良かれと思って行動したのになぜ注意されなきゃならないんだ¨とか¨私にだって言い分はたくさんあったのに¨とか、いろんな感情が湧き上がってくることと思います。

でも、、、その色んな感情を味わっているのは自分である ということが気づきの大きな一つです。

次の気づきは、その出来事で被害者と感じている、良かれと思ってしたでき事であればあるほど、どうして自分が?と感じるその出来事を映し出しているのは自分であることを知ることです。

似たようなパターンで同じような感情を味わいたくないと思うことでしょう。

こんなちょっとしたことでも、いいえ、こんなちょっとした出来事が毎日を構成しているからです。被害者意識に乗っ取られている自分がいても、今のあなたの成長した魂に至るまでの間で、この一例の話のどこかで関わってきたことをただ受け入れることです。感情としてうけいれなくても、パターンを認める という意識で大丈夫です。

考え方に慣れ、不要な感情から離れ上手になれますように・・。

 



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