他者を知ろうとしない・自分を知ろうとする

他者を知ろうとしないというのは極端な言い方ですが、自分を知ろうとするの対極にある言葉を選んで表現しました。他者を知ろうとするということは具体的にはどういうことでしょうか。

他者とは自分以外の人のことですね。自分以外の人の心の在り方というのは、時に自分のこころの投影のフレームで見ているともいえます。

投影とは、自分のこころの在り方を相手の言動にも当てはめてしまうことですが、大概自分のネガティブな要素の感情を相手の言動にもあてはめる時に使われることをさします。

他者を知ろうとしない・自分を知ろうとする

と題名にしましたが、この投影という心理学的視点に当てはめて考えることが目的ではありません。

あなたのこころが何の投影であっても良いのです。

最終的には、あなたのこころが穏やかに感じられることが目的です。

 

お隣さんの一例をあげてみます。

あなたは一軒屋にご主人と2人で暮らしています。昨年結婚したばかりなので、この家にはまだ半年しか住んでいません。荷ほどきも完全には終わっておらず、仕事の合間をみながら自分のペースで進めている段階です。仕事も新たに契約社員として3か月しか経過していません。そんな矢先、横の空き家に50代らしき女性(Aさん)が1人で引っ越してきました。たまに知人らしき同年代の女性が一人遊びにきているようです。引っ越したばかりの挨拶もその女性が付き添っていました。月曜日の朝、ちょうどまだ少し残っている荷ほどきから出た燃えないゴミを捨てるため、ごみ置き場に立ち寄って会社に行こうとしている時でした。Aさんも少量の燃えないゴミを手にして家から出てきました。Aさんはこちらを見て軽く会釈をしてくれました。同じごみ捨て場に向かう道すがら一緒に歩いていると引っ越してきたのはいつなのか?どんな仕事をしているのか?なんとなく、探りを入れられているような気分になりました。その話の内容よりも、言葉の端々に感じる何かに対する怒りのようなものを感じ、あなたは何か嫌な感覚に襲われました。

このような例、内容は違えど、時々体感する事例なのではないでしょうか。

こんな時、Aさんに対してあなたはこんな思考をすると仮定します。

・引っ越して半年も経ったのに、まだゴミを捨てきれていないなんてだらしなく思われたかな。
・なんとなく会社まで知られてしまうなんて嫌だな。
・こんな格好で会社に行くなんて、ずいぶん自由な会社だと思われたんじゃないかな。
・もしかしたら、この間の夫とのけんかの時の大声、実は聞こえていたんじゃないのかな・・。

まだまだ、出てきそうです。

目的はあなたのこころが楽になることです。

その視点から見ると、このように感じる・考えるということは、何かしら自分の経験を当てはめているということです。
Aさんと話したときに感じたもやもやは、自分が以前、同じような状況の時にそのように感じたり・考えていたことが再生されているということです。仮にAさんと話して会社に向かう電車の中で、得体の知れないもやもやがまだ晴れていない時,ふと自分の過去にAさんがそう思ったと感じる思考が自分になかったか振り返ってみましょう。

もしかしたら、小学校の時のクラスメイトの一人に対するだらしないな・ちゃんとしていないなという比較の目で見ていたことを思い出すかもしれません。なんでも知られてしまうのは嫌だなという思いは、中学校の時に、そんなに仲の良くなかった女の子に自分の気になる異性がばれて、巡りめぐって思いを寄せる当人に伝わり、勝手に振られたという思いをしたことにあるかもしれません。もしくはその逆で、同じクラスの女の子が自分が好意を寄せる男性を好きだと思っていることが分かり、先にその女の子が告白をして振られた時に感じた自分の感情をどこかで責め続けていたのかもしれません。好きな恰好をして勤める会社を選んだことは精一杯の自己主張で、今まで自分の考えを発言することをしてこなかった自分なりの大きな勇気だと思っていたものが、会社に勤めて分かったことが実は一生懸命働く人が全然いない、こころを許せることができないと思っていることに繋がったのかもしれません。

そのように考えると、あなたの今朝感じたもやもやは、一見感じさせられてしまったという視点かも知れませんが、自分の中にある価値観が自分を苦しめていることが分かります。

目的はあなたのこころが楽になることです。

今までのほぼ、自動思考ともいえる、処世術ともいえる、もしくは刷り込みによる優劣や勝ち負け・評価という枠をこの事例を一つ使って取り除けるチャンスです。

Aさんがこう考えているのではないか、ということに思いをめぐらす自動思考に停止ボタンを押しましょう。
そして、自分の過去に類似した経験がないか考えてみます。その日に思い当たることがあるかもしれません。数日かかるかもしれません。
しかし、似たような出来事があった事を思い出せた時、その時の自分には悪意があったわけではないことが理解できるでしょう。
そんな悪意があったわけではない(自分なりの善意が多少はあったこと・自分なりにベストを尽くしていた)ことを知り、その時の自分を許す・認めます。
ほどなく、それまでもやもやと出どころのわからない感情が収まっていることに気づけることがあります。

他者を知ろうとしない・自分を知ろうとする


この意味の本質は、他者と関わる時に沸いて出てくる感情が自分を苦しめるものであるとき、自分を許すことであることを思い出すことです。

 



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